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 webnews 05/01/26 (水) <前へ次へindexへ>
第83回全国高校サッカー選手権備忘録(後編)


文/2002world.com編集部

 圧倒的な破壊力では無く、粘り強さを武器にベスト4まで勝ち上がってきた国見高校。例年と違うチームカラーを「主力が抜けて苦しかったのかも知れない」と鹿児島実業高校の松沢隆司総監督が分析した。長崎代表対鹿児島代表の九州対決となった準決勝第一試合。鹿児島実業の選手たちに気負いは無く、国見の選手たちには堅さが見られた。風上を選択していた鹿児島実業が、追い風に恵まれた先制点を奪うと、両者の勢いは手の施しようが無いほどに開いていった。

「完敗です」。試合後の記者会見に臨んだ国見の池田亮司監督は、悄然とした表情で漏らした。一方、鹿児島実業の松沢総監督は「国見には連覇へのプレッシャーがあったようだ」と相手を気遣うだけの余裕があった。



 超高校級プレーヤー・本田圭佑を中心に勝ち上がってきた星稜。戦線が膠着状態に陥ると、選手たちがフレキシブルに流れて、相手守備陣のマークをずらす。もちろん、ポジションチェンジは、自軍の体勢が崩れるリスクも伴う。大きな声でこれを修正し、4-4-2の基本形にバランスを回復させるのがボランチの大畑将徹だった。

「ピッチの中では先輩も後輩もない。先生にそう言われていますし、僕も自分が仕切るつもりでやっています。ウチには本田君というスーパープレーヤーがいますが、ビビらないで動かしていきたい」。そう語った2年生は、那覇西高校戦で虎の子の1点を挙げるなど、星稜を初の国立へ導く上で大きな原動力となった。

 準決勝の市立船橋高校戦でも、1点を追うロスタイムにスルスルとファーサイドのスペースへ移動する。サインプレーの見落としで怒鳴られたこともある大畑だったが、星稜のラストプレーはノーサイン。少し低い位置にフリーでいた本田は囮。誰もが不意を衝かれるファーサイドへのボールをワンタッチでコントロールした大畑は、値千金の同点弾を叩き込んだ。

 惜しくもPK戦で敗れた星稜だったが、大畑は最後まで胸を張った。「(『応援団に挨拶に行く途中で、一人ひとりに声をかけていたけれども…』)3年生には『お疲れ』の一言です。2年生と1年生には『今日が終わりじゃなくって、今から来年のスタートだ』と言いました。来年は優勝します」。本田からキャプテンマークと全国制覇の夢を継ぐのは、ひょっとするとキャプテンシーに恵まれたこの選手かも知れない。



「おはようございます!」と決勝戦の受付を待つ報道陣の前を通って、関係者入口から国立霞ヶ丘陸上競技場の中へ入っていったのは、大会テーマ曲を歌うW-indsの3人。開場前リハーサルのために早くから来場した彼らは、運営係を務めていた女の子たちにもきちんと声をかけた。「かっこいい!」「CD買わなくっちゃ」とはしゃぐ彼女たちは、都内高校のサッカー部マネージャーだ。

 東京都高等学校体育連盟の仕事をしている先生方が顧問を務める都内高校サッカー部のマネージャーから、希望者が書類(添付写真は無いらしい)で応募し、その中から抽選で選ばれるらしい。美形揃いに見えたのは、都内サッカー部のマネージャーにかわいい子が多いのか、ワールドカップの組み分け抽選のように超自然の力が働いているのか、我々の視力が弱いのか、そのいずれかだろう。

 彼女たち運営スタッフと同様、寒さに負けずに開門前から列を成していたW-indsファンの女の子たちは、ミニコンサートが見やすいメインスタンドを埋めていく。そのあおりを受けたか、当日券の販売状況は予想を遥かに越え、ついには売り切れ。外から恨めしく見守るファンも出た。入場者数は4万人台。入りきれなかったサッカーファンのことを聞かされた川淵三郎キャプテンは「何らかの改善方法を考えたい」と、次年度以降に反映させることを約束した。



 満員の熱気は決勝戦を素晴らしいものにした。攻める鹿児島実業、守る市立船橋。互いに持ち味を出した決勝戦は、どちらも相譲らずPK戦までもつれ込み、鹿児島実業に栄冠が輝いた。しかし「勝敗は別にして、どちらも最後の、最高の舞台で一番良いゲームをしたと思う」と松沢総監督が振り返ったように、「これぞ高校サッカー」という緊迫感溢れる好ゲームだった。そして、選手が異口同音に感謝の気持ちを口にしたのが強く印象に残った。

 勝った鹿児島実業はもちろん、敗れた市立船橋の選手たちも、大舞台プレーできる幸せを満喫した。市立船橋の中村勇紀は「やっていて幸せでした。すごくたくさんの人がいて、本当に幸せでした。楽しみながらやれました。だから、一生の思い出」と上気した表情で語った。急性体調不良の森下宏紀に変わって急遽先発を言い渡された上福元俊哉。「試合に出れなくて腐ったこともあります。でもコーチをはじめ、周りの人たちが支えてくれてもう一度頑張れた」。その努力の報酬は、最後の最後に支払われた。

「ずば抜けた選手がいない」「こじんまりとまとまったチームばかり」。取材現場では、そんな言葉を何度も聞いた。しかし、それでも彼らの戦いに心を打たれた人は多かったのではないか。技術、戦術レベルを語れば、確かに物足りないことはあっただろう。しかし、高校生活で積み重ねてきたものの全てをぶつけ、仲間とともに目の前の勝利のためだけに全てを尽くした戦いの数々は、精一杯力を尽くすことの大切さを私たちに改めて教えてくれた。「年を取ったのかなあ。なんだか涙腺がゆるくなってしまって、ファインダーを覗いていたら涙が流れてくる場面が何度もあったんですよ」。友人のカメラマンは、そうつぶやいた。



 高校を卒業すると彼らは異なるピッチへ散っていく。上福元、中村は大学に進学してサッカーを続ける。両チームの主将・岩下敬輔と渡邉広大は、Jリーグに挑戦する。進む道は異なっても、彼らの脳裏には同じ記憶が共有されている。そして足元には同じサッカーボールがあるはずだ。
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