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 第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会 <前へ次へindexへ>
思わぬ(?)苦戦。10人のアビスパ福岡が栃木SCに逆転勝ち。
第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会 2回戦 アビスパ福岡vs.栃木SC

2002年12月8日(日)13:00キックオフ 東平尾公園博多の森球技場 観衆:2,083人
試合結果/アビスパ福岡2−1栃木SC
得点経過/[栃木]板橋(4分)、[福岡]江口(41分、72分)


取材・文/中倉一志

 アビスパ福岡が思わぬ苦戦を強いられた。どこかに油断があったのかもしれない。様々な問題で揺れた1年間を整理しきれていなかったのかもしれない。とにかくあまりにも内容がなさ過ぎた。立ち上がりからなんとなくプレーをするだけで、勝負に臨む気迫のようなものを感じることが出来なかった。そんな福岡に対し、栃木SCは早々と先制点を挙げる。時間は4分、中盤でボールを奪うと素早く右へロングボールを送りサイドを崩すと、そこからのクロスをファーサイドでフリーで受けた板橋が、いとも簡単に福岡のゴールネットを揺らした。

 試合に臨むモチベーションの差は明らかだった。プロ相手に一泡ふかそうという気迫にあふれる栃木SCはスピード、プレスの厳しさともに福岡を上回り、立ち上がりから試合の主導権を握る。そんな栃木SCに対し、福岡は防戦一方。パスは2本とつながらず、中盤のルーズボールのほとんどを栃木SCに奪われた。栃木SCの攻撃は縦にロングボールを放り込んでくるだけなのだが、その対応にさえ福岡は四苦八苦している有様だった。41分にゴール前の混戦から江口がゴールを決めて何とか同点で後半に折り返したものの、それ以外のゴールチャンスは20分に林が放ったシュートだけ。攻守ともに後手に回り、あらゆる面で栃木SCを上回ることが出来なかった。



 後半の立ち上がりの48分、藏田からのクロスに林が頭で合わせたシュートがクロスバーをたたく。ようやく福岡が反撃体制にはいるかと思われたが、その直後の49分に加藤が2枚目のイエローを受けて福岡は10人での戦いを余儀なくされる。そして試合のペースは再び栃木SCへ。54分には難波の強烈なシュートがゴールポストをかすめ、58分には堀田の直接FKがポストを直撃。さらに64分には難波がGKと1対1になる決定的なシーンを作り出した。どれも決まっておかしくないシーン、この時間帯でゴールが生まれていれば、栃木SCの勝利が決まっていたことだろう。

 しかし、決めるべきときに決めなければしっぺ返しがやってくるのはサッカーの常。前半から激しく動き回っていた栃木SCの運動量が落ちてきたこともあって、次第に福岡が息を吹き返した。その原動力となったのは、後半途中から出場した呂比須だった。呂比須が高い位置で起点を作り出したことによって福岡にリズムが生まれ、見違えるように右サイドが活性化する。ようやく福岡にも勝負に対する気迫のようなものが生まれ始めた。



 そして72分、ボールを受けた呂比須が右サイドのスペースへボールを送ると、大塚が長い距離を走り込んでこのボールを拾い、そのままサイドを突破。絶妙のタイミングでクロスボールを挙げる。中央で待つのは江口だ。やや後方に上がったボールに対して江口はジャンプ一番、オーバーヘッド気味に右足ボレーで合わせると、次の瞬間栃木SCのゴールネットが大きく揺れた。スーパーボレーシュート。GK宮澤は反応することさえも出来なかった。

 このゴールで試合の流れは一気に福岡に。呂比須を中心にして小気味良いリズムで右サイドから何度もチャンスを作り出した。ここまで健闘を見せていた栃木SCも、さすがに運動量が落ちてしまい、もはや反撃のチャンスはなかった。結局、試合はこのまま2−1で終了。アビスパ福岡が3回戦に駒を進めた。しかし、冷静に振り返れば、栃木SCのゴール前での決定力不足に福岡が助けられたというのが本当のところ。再建を目指すアビスパ福岡は、まだ出口を見つけられていない。



 さて、この日の試合を最後に呂比須が選手生活にピリオドを打つこととなった。呂比須は1997年に若干18歳で来日して以来、15年にわたって日本サッカー界で活躍。1997年には日本人に帰化してフランスW杯に出場したほか、リーグ戦での通産ゴール数は「世界の釜本」の記録を抜く203ゴールという輝かしい記録を打ち立てた。近年は怪我に悩まされ、なかなか思うような活躍が出来ずにいたが、日本を代表する名選手であったことは誰もが認めるところだ。

 その呂比須の最後の雄姿を一目見ようと駆けつけた観客が2,083人というのは、いささかさびしい気もするが、それは呂比須がボロボロになるまでサッカーを続けたことの証でもある。そして、それを知っている2,083人の声援は、どんな大観衆よりも呂比須の心に響いたに違いない。お別れの言葉を涙で詰まらせてしまった信川スタジアムDJ。「何百回、何千回、ありがとうと言っても、感謝し切れません」と挨拶した呂比須。いつまでもスタンドから去らず、何度も何度も呂比須コールを繰り返したサポーター。そして、呂比須をはじめ、多くの人たちが涙した。

「いろんなことを考えていたんだけれど、感動して言葉が出なかった。ありがとうという言葉しか出ない。長い間プレーできて幸せだった。まずは家族にお礼を言わなければならない。そして、これからは指導者として、監督のライセンスやコーチのライセンスも取りたい。大学にもいきたいし、いろいろと勉強して将来チャンスがあれば日本に戻って(サッカーの)仕事をしたい」と語った呂比須。新たな人生でも大きな花を咲かしてくれるようエールを送りたい。


中村監督(アビスパ福岡)記者会見
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