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  私の中の日本代表 <前へ次へindexへ>
2002world.com特別企画「私の中の日本代表」
現代表よ、人生の歓びを感じるサッカーをしてくれ!


文/砂畑 恵

 先日行なわれたイラク戦、我らが代表の闘い振りは寒かった。そのせいではないけれど、翌日の夜から高熱で寝込んでしまった。今回、中倉編集長が「私と日本代表」というテーマで連載企画し、「それじゃW杯予選のオマーン戦までに寄稿します」と宣言した手前、私は毛布にくるまりながら、PCの前に座ると抱っこをせがむ我が家のネコを湯たんぽ代わりにして、この原稿を書いている。

 イラク戦を仲間と3人で一緒に観戦していた。前半終了と共に友人と2人でブーイングを代表選手に浴びせていた。もう1人は前半終了目前に覇気が感じられないと言って、早々とトイレに行ってしまった。友人達は私に負けず劣らずのサッカー中毒者である。カザフスタンへ2度も代表の応援に行ったり、片や下のカテゴリーの有望選手などの情報を網羅するほど熱心な人達である。それでも前半は引き付ける魅力がなかったのだ。試合後、新宿まで3人で歩きながら交わした会話は、日本代表のドイツへの道のりがかなり厳しいという内容に終始した。



 私は北陸の福井で生まれた。今でこそ温暖化で降雪はめっきり減ったが、私の子供の頃は積雪も多く、かつては冬に盛りとなっていたサッカーには不向きな土地柄だ。通っていた小学校は全校生徒が1000人を越えるマンモス校だったが、地域のスポーツ少年団といえば男の子は野球であり、女の子はボレーボールや体操くらいしかなかった。

 サッカーと触れ合う機会というと、男の子が放課後に雪上サッカーをしていることはあったが女子の私には5年だか6年生の体育の授業でしかなかった。その授業にしても、担任の先生は音楽が専門で、正しいボールの蹴り方を「内踝の辺り」でと教えられたため、私は他の箇所では蹴ってはいけないんだろうと勘違いして覚えたくらいだ。

 体育の成績は優秀だった(それ位、他の勉強が出来ればよかったのにね)。けれどサッカーだけは忌み嫌っていた。その理由は他愛もない。サッカーの授業で好きだった男の子に押されて怪我をしたからだった。好きだった男の子が問題なのではなく、サッカーが悪い。そう乙女心は当たる対象をサッカーにすり替えたわけである。

 それ以降、私はサッカーをすることはおろか、サッカーを見ることさえ嫌った。サッカー関連で知っていたのはペレ、ベッケンバウアー、釜本、そしてマラドーナ。マラドーナはコーヒー飲料のCMに起用されていたからだろうが、先の3人がなぜ頭にインプットされたのかは謎である。そうしてサッカーに対する頑なな思いは1993年のあの日まで続いた。



 アメリカW杯1次予選日本ラウンド対UAE戦、理由は定かではないがテレビ観戦をした。柱谷がヘディングシュートを決めて、腕をグルグルと回し、歓喜の雄叫びを上げながら走り回る姿を見た。この試合で覚えているのはこのシーンだけ。それでも私の中で決定的な何かが変った。全身の血が逆流して身体を突き上げるような感覚。私の人生が180度転換した瞬間でもあった。

 この日を境に、サッカー不毛の地であった私は砂漠に水が吸収されるが如く、サッカーを覚えていく。用語、プレー、選手の名前などなど。J開幕に合せて刊行された雑誌が花盛りだったこともあって、ありとあらゆるものを読み漁った。勿論、テレビ観戦には飽き足らず、貪欲にJリーグの試合を観戦する為にスタジアムを訪れる。

アメリカW杯の最終予選は現地まで行くことは叶わなかったが、テレビの前で正座して陣取り、深夜に行なわれる試合を観戦した。試合中、我慢を止めては代表が負けてしまいそうで、足を崩せない。部屋の壁には最終予選に勝ち上がった各国の星取り表と試合スケジュールを貼った。



 初戦のサウジアラビア戦はスコアレスドローであったが、試合中に福田が相手GKの逆を突いたシュートが止められている。普段ならば決めているだろうシーンだっただけに、福田のことが心配でたまらなかった。2戦目のイラン戦では絶望的な気持ちになるような展開の中、角度のないところから中山が執念でねじ込み、ボールを運ぶ中山の叫びに勝負を諦めてはいけないことを教えられた。

3戦目の北朝鮮での初勝利にホッとし、4戦目の韓国戦でアメリカに王手。ゴールを決めて興奮したカズの試合後に異様に白んだ顔に壮絶な闘いをかい間見る。アメリカは目の前だと馳せる私は、ラモスの「まだ終わってないよ」という言葉の本当の意味をまだ知らない。そしてイラク戦のロスタイム・・・。

 ピッチで泣き崩れる選手と一緒に、私もテレビの前で大泣きしていた。テレビ中継が終わってもいつまでも寝られずに、下戸のくせにウイスキーを飲んで悲しみを振り払おうとさえした。が、結局は一睡もすることなく朝を迎えた。その2年前に私は父を亡くしていた。この日の悲しみは父の死に次ぐくらい悲しいものだった。



 それから4年、フランスW杯最終予選はホームの試合はすべてスタジアムで観戦した。初戦のウズベキスタン戦こそ6ゴールと快調な滑り出しだったが、アウェイのUAE戦のスコアレスドロー。

 日本に戻って韓国を迎えた。前夜に浦和対G大阪を国立で観戦し、そのまま国立に隣接する絵画館前に出来た列に並んで夜明かしして決戦を待った。試合は山口の美しいループで先制しながら、残り7分から逆転負けを喫する。「采配ミスだ」と心底腹を立てて友人とまくし立てていた。その後の中央アジアアウェイ2連戦、カザフスタン戦ではロスタイムに同点にされてショックを受けた。しかも加茂監督は解任される。

 ネットを頻繁に始めたのも丁度その時期。見知らぬ者同志のポジティブな会話に不安な気持ちを拭うことが出来た。ウズベキスタン戦は中田の気迫のプレーに勇気を奮い、呂比須の同点弾にまだ運が尽きてないと信じられた。続くホームUAE戦はドローに終わっても、UAEの選手の大騒ぎを横目に前回大会の韓国戦後の日本にだぶらせて見る、どんでん返しはあると冷静さを持ち合わせていた。

 伸るか反るかの大勝負となったアウェイ韓国戦。いても立ってもいられずに現地に飛んだ。自分が韓国に行ったからといってどうなるものではないだろうに、それでも代表の傍らで一緒に闘いたかった。圧倒的に青い蚕室スタジアム。開始1分での名波の先制点。37分には中田、相馬と繋ぎ、ロペスが押し込む。

 この2得点も嬉しかったが、秋田が正当な競り合いから崔龍洙の鼻をへし折った。相手に怪我をさせることをよしとはしない。それでもあの時だけは違った。崔龍洙の戦意を削ぐことになる。今だからこそ崔龍洙には悪いと思うが、その場では正直に「秋田よくやった」と感じたのは事実だ。試合後の自分は精根尽き果て夕食のことを考える気力もなかった。



 韓国で蘇った代表の自信はそのままカザフスタン戦でも発揮され、ウズベキスタンの頑張りも手伝いUAEを引き摺り降ろして2位になり、イランとのプレーオフへ。ジョホールバルでの死闘の末、延長で岡野がゴールデンゴールを決めてフランスへの切符を勝ち取った。今度は嬉しさのあまりに眠ることが出来ず、朝一でコンビニへスポーツ新聞を買いに走った。

 ジーコが監督になっての最初の試合であったジャマイカ戦、華麗なパス回しにワクワクした。結果は引き分けに終わったが、これがジーコの目指すサッカーなのかと楽しみに思えた。ドイツのメル友にも我が代表を自慢できるだろうと。ところが試合を重ねるごとに私は首を傾げて溜息を付くことが多くなった。最初に抱いた思いは私の中で色褪せてしまった。



 スポーツ選手というのはあくまでブラウン管を通しての繋がりであって、自分とは縁もない人達だと思っていた。オリンピックや野球で熱狂することはあったが「頑張れ」と声援を送るだけで、勝てば「よかったね」と、負ければ「残念だった」と単に思うだけの存在でしかなかった。けれど殊サッカーに関しては、自分の勝手な思い込みだとはいえ、代表の選手と自分の間には、立場は違っても同じ夢を追い掛ける同志であり、喜びも悲しみも他人事としてではなく自分事として受け止めてきた。

 アメリカ、フランスとW杯アジア予選を闘ったメンバーに、私がのめり込んだのは、そのサッカーが楽しいからでも、美しいからでもない。どんなに泥臭くとも、地を這ってでも、常に闘志を前面に出して、身体を張ったプレーで勝利を目指すからだ。だから応援する側の自分も生半可な気持ちで試合に臨めない。きっとスタジアムに集結するみんなも、テレビの前で試合に立ち会う人もまた、選手と共に闘っている。

 しかし、今の代表からはまだ闘う覚悟が伝わって来ない。いや、中田英にだけはそれを感じる。普段からクールを装い、ジョホールバルでも歓喜の写真撮影に一人だけしゃがんで写らなかったヒデ。セリエAの合間を縫って現代表の試合に帰国するヒデは、コンディション調整も難しいのではないかと思う。それでも華麗なプレーばかりではなく、人一倍身体を張って泥臭く相手に挑んでいる。同じような闘志を漲らせるプレーをしている選手が他にどれくらいいるだろうか?

 アジアのレベルは確実に上がっている。戦火を潜り抜け、練習もそう出来なかったであろうイラクも、そう実力が衰えてはいなかった。ならばオマーンも格下など簡単には考えられまい。1次予選を勝ち抜くのは容易くないはず。



 柱谷のゴールで人生は変った。アメリカ、フランスの最終予選で人生の悲しみと喜びを享受した。今日、オマーン戦から代表と私のドイツへの旅は始まる。
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